江戸時代の中ごろには入れ歯はもう普及していたといわれています。

江戸の文化人
本居宣長は総入れ歯を入れており彼の著書「紀州日記」のなかで、
「昨日津の入れ歯師参り、入れ歯いたし申候。殊の外よろしき細工なるものにして、・・・口中心持わろくもなき物に御座候。・・・」
と記しています。かなり適合のよい入れ歯が作られていたことがわかります。
入れ歯を作る職人は
入れ歯師と呼ばれていたようです。
杉田玄白も総入れ歯を入れていたようです。
彼の随筆 「耄耋獨語」(ぼうてつどくご) のなかで、
「入歯を作り、用いし事ありしに、物食うため、物言いのためには、少し良きように覚えたれども、下地を黄楊(つげ)の木にて作り、余程大いなる物ゆえ、いかように上手に作られても馴れぬうちは、いとうるさし。・・・」
食べる時やしゃべる時にはまあまあ使えるが、慣れないうちは違和感があることを記しています。
昔も今も入れ歯に対する思いは人それぞれであることがわかります。